日本共産党 衆院比例 近畿ブロック たつみコータロー

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国会会議録

軍事的用途、国際紛争助長へのODAの使用を慎むよう求める

20日ODA特別委員会で参考人質疑が行われました。

以下に議事録を掲載します。

議事録を読む 参考人陳述部分
○大臣政務官(木原誠二君) 我が国ODAの六十年を振り返って御報告を申し上げます。着座にて失礼を申し上げます。
二〇一四年は、日本がODAを開始してから六十周年に当たります。この間、日本は百六十九か国に対する支援を行い、世界における主要な援助国の一つとして多くの開発途上国の開発と成長、そして国づくり、人づくりを支えてきました。
この六十年の歴史の中で日本が途上国に対して地道に行ってきた支援は、日本とこれら諸国との関係の強化や、これら諸国の国民からの日本に対する信頼の強化につながっていると考えております。象徴的な例を挙げれば、東日本大震災後、アフリカの最貧国を含む世界百七十四か国・地域からお見舞い、支援が接到いたしましたが、その際、途上国からは、これらのお見舞い、支援は日本のこれまでの支援に対する恩返しであるとの声が聞かれました。また、BBCが二〇一二年に行った世論調査、世界に良い影響を与えている国ランキングで、日本は第一位を獲得いたしました。特に、日本が戦後重点的に支援を行い急速な発展を示しておりますASEAN各国では、二〇〇八年の世論調査で、九割以上の人が日本を友邦として信頼できる、又はどちらかというと信頼できると回答をいただいております。
また、日本が支援を通じて世界の、とりわけアジア地域の発展と安定に貢献してきたことは、平和で安定した国際環境という、日本の発展にとって必要な条件をつくり出す上でも大いに役立ってきたと考えております。ODAは、日本外交における最も重要なツールの一つであり、引き続き、我が国にとって好ましい国際環境を構築するため、その戦略的、効果的実施に努めていく考えであります。
日本の支援には一貫した信念があります。第一に、自助努力支援、第二に、経済社会基盤の整備や人づくり、制度づくりを通じた持続可能な経済成長の重視、第三に、人間の安全保障の理念に立ち、人間に対する直接的な脅威に対処するための一人一人の保護と能力強化を重視する姿勢であります。
開発途上国の開発問題は、その国の自助努力なくしては解決できません。日本は、途上国が自らの成長を切り開いていく力を育てるとともに、途上国自身の努力を後押しすることを旨として支援を行ってまいりました。日本のこうした姿勢は、技術協力を通じた途上国の人材の育成を重視する姿勢にも現れております。時間を掛けて人材を育て、その国の開発の在り方を共に考え、共に歩む日本のODAの伝統は、多くの途上国から高く評価されております。例えば、ブータンの農業改革を支援した西岡JICA専門家は、二十八年もの長きにわたり現地で活動を続け、ブータンの農民の意識改革を促すところから始め、機械化を通じたブータンの農業の近代化に貢献いたしました。ブータン国王から最高に優れた人を意味するダショーの称号を授与された西岡専門家の遺志は、西岡専門家の薫陶を受けたブータン人に受け継がれ、こうした人々が今日ではブータンの農業の発展のために日々活躍しております。
日本は、貧困における一時的な対症療法ではなく、経済社会基盤の整備や人づくりを通じて経済成長を実現することを重視してまいりました。円借款の供与等を通じてインフラの整備に大きな貢献をし、これが各国の投資環境の整備につながり、民間経済の発展を下支えしてまいりました。この結果、アジアの経済発展が促進され、この地域の貧困の削減にもつながりました。
経済のグローバル化により、途上国の開発資金において民間資金がODA資金の二倍以上もの額になっている現在、貧困削減を含む途上国の開発を進める上で、民間資金を呼び込み、経済成長を実現することがますます重視されるようになっております。民間資金の呼び水となるODA実施を重視する日本の援助手法の有効性は、改めて国際社会から評価と注目を集めるようになっております。昨年六月、横浜でTICADⅤが開催をされました。アフリカは、政治、治安状況の改善とともに、豊富な天然資源と高い人口増加率に支えられ、今世紀に入り目覚ましい経済成長を達成し、躍動する大陸として世界の注目を集めています。今後はアフリカでも日本の成長重視の支援を着実に進め、成果を出していく必要がございます。
日本は、人間の安全保障の理念を提唱し、人間一人一人に着目した支援を行っております。持続的な発展を実現するためにも、個々人を保護し、能力強化していくことが重要です。具体的には、教育、保健医療、ジェンダー、防災、環境、平和構築といった分野でこうした理念に基づくODAを積極的に推進しております。アフリカを始めとする途上国で、学校建設等を通じ、子供たちの教育へのアクセスの改善に貢献しております。安全で安定的な飲料水の提供や衛生的な下水道の普及を支援する等、水分野での協力においても日本の貢献は大きなものがございます。感染症対策におきましても、世界エイズ・結核・マラリア対策基金において主導的役割を果たすとともに、ポリオの根絶に向けても多大な成果を上げてまいりました。
このように、日本の過去六十年にわたるODAは、途上国の開発、成長に貢献してきたのはもちろんのこと、日本と途上国とのきずなの構築、そして日本の国際社会における地位の向上という観点からも確かな成果を上げてきたと言えます。現在、国連におきましては、二〇一五年より先の開発目標をめぐる議論が進められておりますが、日本はこれまでの成果を踏まえつつ、主要な援助国として日本の理念、考え方を国際的議論の中に反映させるべく努力し続けてまいります。
もとより、日本のODAに不十分なところがなかったわけではございません。過去六十年、日本はODAの効率と効果を高める努力を惜しまず、改革を進めてまいりました。
一九九〇年代に入りますと、冷戦終結後の国際情勢に対応するために、ODA大綱を定めるとともに、理念の明確化や政策面での強化を進めました。また、一九九〇年代後半からは、厳しい財政事情の中で、ODAの戦略性、機動性、透明性、効率性を高めるための努力を行ってまいりました。さらに、国民参加の拡大や日本のODAに対する内外の理解を深めるための努力も行ってまいりました。その努力の一つが二〇〇三年のODA大綱の改定でございます。また、二〇〇八年には、有償資金協力、無償資金協力、技術協力の三スキームの実施をJICAに統合をし、三スキームの有機的連携による援助効果の向上をより図りやすくしたところでございます。
このような改革努力は、二〇一〇年のOECD、DACの援助審査においても評価をされております。特に、現場主義の強化や分野横断的課題の主流化、関係省庁間の調整、NGOの重視、説明責任や透明性重視等の努力が高く評価されたところでございます。
最近では、オールジャパン体制による効果的、効率的な支援を実施する観点から、政府部内の連携を更に高めるとともに、中小企業を含む民間企業、地方自治体、NGO等、優れた技術やノウハウを有する様々なセクターとの連携強化を積極的に推進しております。
また、日本再興戦略の中で、企業の国際展開や国際標準の獲得に向けたODAの戦略的活用がうたわれたり、外交・安全保障政策の基本方針たる国家安全保障戦略の中で、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、日本を含むグローバルな安全保障環境の改善のためのODAの戦略的活用の重要性が示されたりするなど、様々な分野でODAの果たす役割への期待がますます高まっております。
今後も、日本の外交政策実現のための重要なツールとして、幅広く国際社会の平和と安定及び繁栄に資するODAを推進していく考えでございます。
ありがとうございました。
○委員長(岸宏一君) 次に、田中理事長。
○参考人(田中明彦君) JICA理事長の田中明彦でございます。
本日は、我が国ODAの六十年を実施機関の立場から振り返るとともに、今後の展望について申し述べさせていただきたいと思います。
まず、我が国ODA六十年の歴史を振り返りますと、私は大きく分けて三つの時期に分けられると思っております。
第一の時期は、一九五〇年代から一九七〇年代の半ばまでの国際社会への復帰を遂げた時期です。戦後の日本は、一九五二年のサンフランシスコ平和条約の発効後間もない一九五四年に、地域協力機構であるコロンボ・プランに加盟し、東南アジア諸国への技術協力を開始しました。一九五八年には有償資金協力も開始し、現在の日本のODAの原型ができ上がりました。世界から孤立していた日本が国際社会に復帰していく過程で、戦後賠償と併せて、国際社会の中で責任ある行動を示していくためにODAが大きな役割を果たしてまいりました。
第二の時期は、経済大国日本の時代とも言うべき時期です。この時期、日本は累次のODA増額計画を実行し、ODA大国としても成長していきました。度重なる組織改編、統合を経てきておりますので正確な数字を示すことは難しいのですが、この間に、当時のJICAでは、職員数は約一・二倍の増にとどまる中で技術協力の事業規模が約六倍に拡大し、相当な効率化を達成したと言えます。
そして、一九九〇年代から現在までの二十年は、冷戦後の新秩序が模索される中、日本は成熟した国家として、新たな課題に直面する国際社会への関与を深めてまいりました。ODA大綱の下で、JICAは、ミレニアム開発目標、MDGsへの貢献、人間の安全保障、地球規模課題への取組等を強化してまいりました。二〇〇八年十月には、JICAとJBICの海外経済協力業務が統合され、新JICAが誕生し、技術協力、有償資金協力、無償資金協力を一体的に実施する体制ができ上がりました。
この六十年の歴史を通して、ODAの成果とJICAの実施機関としての貢献について申し述べさせていただきたいと思います。
JICAは主に三つの姿勢を貫いてきました。すなわち、自助努力の尊重、経済成長の重視、それから人と人とのつながりの三つであります。
一つ目の姿勢、自助努力を尊重した支援は、自国の考えや技術を押し付けるのではなく、その国の状況に合うものを一緒に考え、つくり上げていく姿勢です。
その国の自発性や自助努力を重視し、各国に適した発展を共に考えてきました。戦後復興から僅か二十年程度で経済大国と言われるまでに成長した経験を持ち、さらに援助受取国としての経験を有する日本の特徴であると言えると思います。この姿勢は、日本が先頭に立って促進してきた南南協力に発展的に取り入れられています。途上国同士がお互いの経験を分かち合い、共に問題を解決する南南協力は国連でも高く評価され、国際潮流の一つになっています。
二つ目の姿勢、経済成長を目指した支援は、貧困問題を根本的に解決するためにはその基礎となる経済を発展させるという姿勢です。
JICAの協力は、ASEAN各国の経済成長率の押し上げに大きく貢献しました。二〇一〇年の実績から計算した数字ですが、ベトナムにおいては、全土の空港利用者数の八五%がJICA事業によって整備された空港を利用しております。同様に、タイの空港で七六%、フィリピンの鉄道で五二%、カンボジアの港湾で七三%、インドネシアの水力発電で六二%など、JICA事業の貢献度が五〇%を超える国、セクターは多く、大きな貢献であったと言えます。
三つ目の姿勢、人と人とのつながりを重視した支援は、半世紀以上にわたり日本人ならではのきめ細やかさで根気強く人づくりに取り組んできた実績でありまして、これは誇るべきものであります。相手国との信頼関係なしには国際協力は成り立ちません。
JICAは、人づくりが国づくりの基礎という考えの下、六十年間の累計で約十二万六千名の専門家派遣、約四万四千名のボランティア派遣、約五十一万六千名もの研修事業を実施してきました。
なお、この六十年間にJICAの研修を受けた方で、大臣、次官を務められた方は三百人を超えており、局長級以上の方は三千五百人を超えています。外務省の対日世論調査の結果でも日本のODAは高く評価されていましたが、これらの数字は、JICAの協力が各国との信頼関係の構築に寄与したことを端的に表していると思います。現在、JICAは、海外九十二か国、国内十四か所の拠点を窓口として、世界百五十以上の国と地域で事業を展開しております。
先ほど申し上げましたように、アジアではインフラ整備と人づくりの局面から全面的に支援を展開した結果、経済成長、民主化、日本への信頼醸成、我が国企業の投資拡大に大きく貢献しました。一九八〇年代に行われたタイの東部臨海開発では、日本のODAにより、水源もほとんどない漁村を一大工業団地に成長させました。そして、トヨタ、ホンダ、スズキ、三菱などの日本企業がタイに進出し、タイで生産した製品が世界各地へ輸出されるようになりました。日本のODAが、タイを新時代へと導き、日本とタイの関係をも変えた好事例と言えるプロジェクトだと思います。
また、冷戦終結後の援助疲れした国際社会において、日本政府は一九九三年に第一回アフリカ開発会議、TICADを開催し、本格的に取組を開始し、低迷期のアフリカ支援を下支えしました。
JICAは、アフリカにおける理数科教育、村落給水、稲作振興、国境を越えたインフラ整備支援といった事業で高い評価を得ました。近年では、人間の安全保障の理念の下、平和構築支援に活動を拡大しています。フィリピンのミンダナオ和平構築支援、アフガニスタン復興支援などでは、過酷な環境の下で日本人が率先して積極的に現地で事業を展開し、国際社会においても大きな役割を果たしています。
ODAの成果の最後に、これらの成果は多くの尊い人命の犠牲の上に成り立ったものであることを申し添えたいと思います。
JICAの事業は、ある意味で危険と隣り合わせで実施されています。六十年の間に、犯罪、事故等によって命を落とされた方は、専門家、青年海外協力隊員等を合わせて二百名を超えます。我々は、尊い人命が失われてきたことを肝に銘じ、安全対策に万全を期していく決意でおります。
ここまで、ODAの意義を再確認し、ODAの成果と実施機関としての貢献について申し述べましたが、最後に今後の展望について簡単に申し述べたいと思います。
現在、世界は地殻変動のただ中にあります。経済成長する開発途上国が新興国になり、世界経済におけるパワーシフトが起きております。新興国が世界経済の中心となるとともに、彼らが直面する様々な課題を解決することが非常に重要な意味を持つようになっております。その一方で、取り残された脆弱国家では多くの人々が内戦や貧困問題に苦しんでいます。これらの問題は、人道的に重要であることはもちろんですが、国際社会の安定と繁栄にとっても大変重要となっています。
このような課題に対し、JICAは、二国間ODAの実施機関として、日本政府の日本再興戦略と国家安全保障戦略に従い、国際社会の掲げるミレニアム開発目標、MDGsを始めとする開発目標の達成に貢献してまいります。
日本の戦後復興から経済大国に至る経済発展の経験は、多くの新興国の課題の解決を考えるときに大変貴重な知恵の宝庫です。例えば、都市開発、省エネ、防災、公害、環境保全、社会福祉等での日本の経験は、言わば日本ブランドとして世界に誇れるものであり、アジアを始めとする新興国が直面する課題の解決に大いに役立つはずです。このような日本の強みを生かした競争力ある事業を展開してまいりたいと思います。
一方、脆弱国家への支援には多くの困難が伴い、世界的に見ても成功への処方箋は必ずしも見付かっていない状態にあります。しかし、幾ら困難であったとしても、脆弱国家の問題への貢献は成熟国家としての日本としておろそかにできない責務です。また、これらを放置することは安全保障上も大きな問題となり得ます。これらの国ではミレニアム開発目標達成状況も遅れており、ガバナンス向上の支援、インフラ整備に加えて、保健医療、安全な水、女性の地位向上などの事業を積極的に展開してまいります。
これらの課題に日本を挙げて取り組むためには、開発援助に関わる国内外のアクターとの連携を強化する必要があります。民間企業、大学、地方自治体、市民社会、NGOなど多様なパートナーシップの強化に努めており、皆様のお知恵をお借りして課題解決に努力してまいります。
岸委員長を始め、委員各位の御支援と御協力を心からお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。
○委員長(岸宏一君) 続いて、「我が国ODAの六十年を振り返って」について参考人から御意見を伺います。高橋参考人。
○参考人(高橋基樹君) このような機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
横長の資料をお配りしております。適宜、御参照いただきながら聞いていただければと思います。
私は、ODAの六十年を振り返って、残された二十一世紀に我々が何を受け継いでいくべきかという観点からお話をさせていただきたいと思います。
私の観点は、援助の本旨というのはあくまで相手国の開発に対する支援である。日本の国益というのもこれを通じて実現されるべきでありますが、それはあくまでも情けは人のためならず、国益というのは副次的に我々に返ってくるものだというふうに捉えて評価をするべきだというふうに考えます。また、援助の対象国というのは極めて文化の異なる様々な国から成っております。そういう国々との対話のプロセス、そして対話に基づく行動のプロセスが援助であったというふうに考えます。
援助の質は相手国の人々の利益にかなっているかという観点から測られるべきであり、そういう観点から研究をする者としてODAの回顧というのをさせていただければと思います。時期区分については田中理事長がおっしゃったものと余り変わりませんので、それに従ってお話をさせていただきたいと思います。
一九五四年、援助が創始をされました。研究者の中では、戦争賠償というものが元々起源であるので、日本の援助は非常に受け身的に始まったということが言われております。これはいまだに非常に影響力のある考え方でございますけれども、最近では、五〇年代の日本の指導者の中には、植民地を失った後、対等に途上国との関係を構築し直して途上国の開発を真剣に希求しようとする考えがあったということが少しずつ分かってまいりました。ただ、始まってからしばらくの援助というのは、自国の経済的利益、特に輸出促進であるとか資源確保が際立つ援助だったというふうに言っても仕方がなかったかと思います。
その援助が大きな転換を遂げたのは一九七〇年代であったろうと思います。詳しい背景については省略をさせていただきますが、このときに日本は先進援助国として真のスタートを切ったというふうに言えると思います。それを象徴するのが福田ドクトリン。ここでは、特に日本が大国化する中で疑念や反感がございました。それを払拭するために平和主義を掲げ、相互信頼を求め、まさに対等な協力というのを大きく掲げて途上国との対話を開始したというふうに考えます。更に重要なことは、そのときに日本の援助は二つの柱を立てる、相手国の工業化を支援する、産業の発展を支援するということと、貧困の削減を真摯に追求していくことでございました。今までに続く、相互に依存する国際社会への貢献、そして人道主義というものがこのときに大きく理念として掲げられたというふうに言っていいと思います。
八〇年代、東アジアの時代が始まりました。日本は、工業化を成功させたアジア諸国に円借款や高度な技術移転を供与することによって伴走をしてまいりました。同時に、注目すべきことは、ベーシック・ヒューマン・ニーズがこの多くの国で充足をされていったということでございます。
九〇年代に世界最大のドナーになった日本は、その責任を明らかにするべく、ODA大綱というものを制定をいたしました。新しく掲げられたのは、自助努力の支援、そして環境保全を目的とするということであります。さらに、平和主義というのを前面に打ち出して、民主的価値に沿った支援をしていくということを高くうたいました。これに沿ってアフリカ開発会議が始まったということを我々は忘れてはならないと思います。
ただ、全てのことが順風満帆であったわけではございません。九〇年代の後半になると、残念ながらODA予算の削減ということが始まりました。更に難しい問題は、重債務貧困国が債務を返せないという状況に陥りました。条件の良い公的債務を返せない。ここから破綻国家あるいは脆弱国家と言われる問題が顕在化をしてまいりました。貧困というのは、以前からそうでありましたが、座視できないレベルで世界中に広がっている。特にアフリカ等では広がり、さらに深刻化をしているという状況がございました。他方で、紛争等の人道的危機が深まってまいりました。
御承知のとおり、二十一世紀になってからアフリカの成長は再開をしておりますが、こういった国家の脆弱さ、あるいは貧困の深刻さというのは存続をしておりますし、成長がもたらしているものの一つは格差の深刻化であります。重要なことは、そういった中で国際合意としてのミレニアム開発目標、これは特に教育や保健医療に集中をしておりますけれども、こういったものを地道に達成をしていくということが必要になりました。
日本は、こういう新しい内外の援助を取り巻く課題に直面をして、新しい理念とアプローチを打ち立てる必要に迫られました。それが二十一世紀の初めでございます。そういうことの模索の結果として、人間の安全保障の理念というものが定立されたというふうに私は理解をしております。現行ODAに高くうたわれております。これは、日本の平和主義、そして世界的な理念である貧困削減、そして途上国、人類社会の喫緊の要請に応える、世界に誇るべき理念だろうというふうに私は思います。
また、これまでの経験を通じて、日本が目指すべき援助モデルというものも浮き彫りになっていったというふうに思います。それは、息の長い対話型の支援、相手方の開発課題を深く包括的に理解をし、同時に、相手国の意思、主体性を尊重する。特に、相手方が作った開発戦略や自助努力というものを尊重してそれを支援していくということでございます。もう一つ付け加えるべきは、他の主体、特にほかの援助国であるとか国際機関、さらに我が国内外の、あるいは相手国の民間組織と幅広く、そして透明で公正な形で重層的に連携をしていくということでございます。
二十一世紀も十数年がたちましたが、ここまでの経験の中で培われた、ODAの六十年の経験の中で培われた我が国の資産というものがあると思います。これをほかのドナーとも比較しながら申し上げたいと思います。
一つは、地域的な広範さであります。アジアを主体としてまいりましたけれども、アフリカやラテンアメリカにも様々な活動を展開しています。さらに、日本は、援助分野、手法の多様さという資産を持っています。特に、単純化しますと、産業発展と人間開発、貧困削減といった相手国の状況と課題に対応して供与のできるメニューを多く持っているということでございます。さらに、問題がいろいろありますけれども、日本の援助は多くの案件が非常に長期的視野で行われている。その中に対話型のアプローチというのが含まれているということが非常に重要なことであろうと思います。
この六十年の歴史の中で培われた最も重要な資産というのは、国際協力の人材であろうと思います。
思いますに、私も援助に付き合いましてから二十数年以上になりますが、昔の方には失礼かもしれませんけれども、最近の人材には非常に優れた方々がおられます。昔もおられたかもしれませんが、ますます優れた人材が増えているように思います。それはODAに限らず、NGOの職員の方にもとてもすばらしい能力と知見を持った方がおられる。そういった高い能力を持った人材が、現場で一生懸命汗を流して誠意を見せ、献身をしてきたということによって勝ち取られた尊敬や信頼というのは、敗戦後あるいは一九七〇年代に先人たちが渇望してきたものが今実現をされているのだろうというふうに思います。
さて、私は、スマートな援助大国というものを目指すべきだということをかねがね申し上げてきました。スマートというのは、痛みを感じるという意味は元々の語源にあるようですけれども、大変重要なことは、単に援助を通じて相手の国と利益や成功を分け合うということだけではなくて、相手の苦難あるいは課題を共有するということが重要であり、不可欠であろうと思います。
なぜ人間の安全保障の理念が非常に優れているかというと、この理念は、人々の暮らしに困難をもたらす要因、例えば欠乏であるとか恐怖というものを正面から把握して、それに知的に対処することを我々に求めているからであります。防災がその典型であろうと思います。
こうしたことを踏まえたときに、今日本が援助国として直面している大きな課題というのは、やはりアジアの中に立っている援助先進国としてリーダーシップを発揮していくことだろうと思います。今、成長の波は東アジアから西に及んで環インド洋圏に及ぼうとしています。そこに眠る大きな潜在性は、貧困とかあるいは安全保障上の非常に深刻な問題をクリアすることなしには生かすことはできないと思います。そこに日本のリーダーシップが大きく期待されると私は思っています。
さらに、苦難というと日本国民の多くはそっぽを向いてしまうのではないかというふうに言われるかもしれません。しかし、私はそういうふうに考えるのは早計だと思います。平成二十三年の世論調査によれば、東日本大震災でいただいた支援、そのお返しのために援助を続けるべきだというふうに、答えた方の六割の方が答えておられます。
さて、今直面する具体的な課題は、やはり援助予算の再拡大であろうというふうに思います。予算削減は、特に貧困国向けの援助の運営を硬直化させています。なぜかといえば、技術協力や無償資金協力に大きな制約が掛かっているからであります。また、日本は、国際公約であるGNIの〇・七%供与という公約を、言ってしまえば一顧だにしなかったという問題がございます。予算抑制というのは、そういった意味でも非常に大きな問題であろうと思います。
実務の方々から援助スキーム間の連携というお話がございましたが、まだまだ足りないというふうに思います。一つのプロジェクトにたくさんのスキームを取り入れて、あるいは内外のNGOの力を組み入れて多くの活動を多様に行っていくべきだろうというふうに思います。
さらに、全世界にとって、あるいは日本にとって未解決の課題があると思います。それは、産業発展と貧困削減という二本の柱があるわけです。これは普通に考えれば本来相乗作用を発揮すべきものですが、なかなかこの両者をつなぐアプローチというのが見付かりません。
一つ大きな鍵は、この両者をつなぐ本来の責任は対象国の政府にございます。しかし、多くの我々がこれから相手にしていくべき国々は若い脆弱国であり、若い国の政府というのは、人々の意思に応え得ず、あるいは代表していないおそれがある。特にそういった国では、大規模な開発を行ったときに住民の権利が十分に保護されない可能性がある。我々は、援助側としてそこにきめ細やかな配慮をしていく必要がありますし、こういったことをつなぐ政府の能力の強化を助けていく必要があります。まさに、国づくりを支援する必要があるのだろうと思います。現在のように、格差が拡大する、この状況の中ではこういった支援はますます必要になっているというふうに考えます。
先ほど来お話がございましたように、国際情勢というのは構造転換をしています。日本の国の形も、申し上げるまでもなく、大きく変わろうとしている。その中で、日本のためにも途上国のリソース、活力を導入することは不可避でありますし、そのためにODAが使われるということについて異論はございません。しかし、民間経済を振興するというのはODAを超えた様々な難しい技術、スキル、知識が必要で、私は、ODA以外の政策手段の拡充をより一層図っていくべきで、現在ODAにあるいはその組織に掛かっている過重な負担というのは軽減をし、ODAの局面では公共政策支援により集中をしていくべきだろうというふうに思います。
もう一つ、新興国との様々な形の関係が生まれています。その中には、援助競争が今生まれているのかもしれません。中国は、日本に対して、援助の質がどのレベルでどっちが高いかというチャレンジをしてきているようにも見えます。こういったものを建設的な競争にしていき、さらには、できればこういった前向きな側面ではお互いの比較優位を生かして協調をしていくということが将来求められているのではないかというふうに思います。
最後に、将来、五十年後を見ますと、世界の人口の半分以上は大きな意味での環インド洋圏に集中をいたします。四分の一はアフリカに住みます。ここに対する戦略、そして支援の方向性を持たない先進国というのは、恐らく先進国の名に値しないということになると思います。そうした大きな目を持って日本のリーダーシップを考えていただき、ODAの機能、役割を考えていく必要があると私は考えております。
機会を与えていただきまして、大変ありがとうございました。
○委員長(岸宏一君) ありがとうございました。
次に、「ポストMDGsを巡る動向と日本の関与の在り方」について参考人から御意見を伺います。近藤参考人。
○参考人(近藤哲生君) 皆様、本日は参議院政府開発援助等に関する特別委員会の席にお招きいただきまして、私からは、ミレニアム開発目標の進捗状況、ポスト二〇一五開発アジェンダの動向、また国際社会の日本への期待といったことについて御説明をさせていただきます。
私、本年一月一日に国連開発計画駐日代表を拝命いたしました近藤哲生でございます。これまで勤務してまいりましたチャド、コソボ、東ティモール、イラクといった途上国、紛争国においても、このようにその国のリーダーの方々にお話をする機会を頂戴いたしました。そういった国々では間違ったことを申しますと命に危険が及んだわけですが、この席では、とても晴れがましい席ではありますが、間違ったことを言っても、部下から殴られることはあっても命に危険は及ばないだろうと安心しております。
ミレニアム開発目標、MDGsの進捗と日本の貢献でございます。
進捗状況をまず申し上げます。
MDGsは多くの分野で進捗が見られますが、地域と目標によってかなり達成にばらつきがあります。極度の貧困で暮らす人々や、改善された安全な飲料水にアクセスできない人々の割合、これは半減され、減らすことができました。マラリアによる死亡率も十年間で二五%低下しております。一方、乳幼児や妊産婦の死亡率に関する目標の進捗は遅れております。また、地域を見ますと、サハラ以南アフリカや南アジアでは達成に遅れが見られます。お手元に私どもの事務所からお配りしたミレニアム開発目標パンフレットの六ページに記載がございますので、御覧いただければと思います。
達成期限の二〇一五年まで、あと七百日を切りました。UNDPは、MDGsの達成に向けて、引き続き各国政府の取組を応援しております。アフリカや紛争後の国々、小島嶼国、内陸国などは特に支援を加速する必要があります。
日本は、MDGsの進捗に向けて大変に大きな貢献をされてきました。日本政府は、ODA政策の中核である人間の安全保障の実現のために世界各地で様々な支援を実施されています。アフリカ開発会議、TICADを通じた農業、教育、保健などの分野の支援は高く評価されております。また、日本政府はUNDPを通じて、アフリカ、中東、アフガニスタンなど平和が脅かされている地域で、貧困削減、平和構築、選挙や議会支援といった民主的ガバナンスの事業に資金を提供されております。日本政府が拠出されているUNDPのプロジェクトについては、日本・UNDPパートナーシップ冊子というお手元の資料の七ページにございますので、また御覧いただければと思います。
本日はJICAの田中理事長が御出席ですが、現場においてUNDPから拝見しておりますと、JICAを中心とする日本のODAは、極めて丁寧で細かく、クオリティーが高いという評価がございます。UNDPは、日本政府拠出事業では特にJICAとの補完性、連携を心掛けており、それによってUNDPのプログラムのクオリティーも高まるという相乗効果が得られております。田中理事長はUNDPの人間開発報告書のアドバイザリーパネルのメンバーでもあり、JICAとUNDPは開発政策のアドボカシーでも協力をしております。
私がおりましたチャドですが、日本政府が資金拠出をされたUNDP案件の事例として、地方分権化プロジェクトというものがございました。チャドの憲法は独立して間もなく一九六〇年代にできましたが、地方分権化について規定があるにもかかわらず、地方自治法がございませんでした。その結果、選挙が行われなかった。このプロジェクトを通じて、チャドの歴史で初めて地方議会選挙を行いました。また、選ばれた約九百名の全国の地方議会議員に対して研修を行って、彼らの責任について認識を深めてもらった。MDGsの達成には地方行政能力が不可欠なんです。日本政府は、UNDPと協力してこのように重要な支援を行ってこられたことをまず強調したいと思います。
次に、ポスト二〇一五開発アジェンダ、二〇一五年以降どうなるんだろうということについての見通しを御説明申し上げます。
ポスト二〇一五開発アジェンダですが、貧困撲滅が中心となる、持続可能な開発アジェンダになります。途上国のみならず、先進国を含め、国境を越えて取り組むべき課題が含まれています。MDGsよりも幅広く普遍的なものとなることが予想されます。
これまで、当初、MDGsの後継であるポスト二〇一五開発アジェンダと、二〇一二年にブラジルで行われました国連持続可能な開発会議、いわゆるリオ・プラス20で合意された持続可能な開発目標、サステーナブル・ディベロップメント・ゴールズ、SDGsというものがダブルトラックで別々に議論されてきたわけです。これを、昨年九月の国連総会とMDGs特別会合で採択されました合意文書で、ポスト二〇一五開発アジェンダとSDGsを統合する道筋が明確になりました。
UNDPの総裁が議長を務めます国連開発グループでは、世界各国並びにインターネットのウエブサイト上で国際的な公開協議を行いました。これには百九十か国以上から百七十万人が参加して、主要なメッセージをまとめることができました。
六点ございます。まず第一に、MDGsの達成に向けては最後まで加速する努力をすべきだと。第二に、格差の是正が不可欠である。第三に、働きがいのある人間らしい仕事、いわゆるディーセントワークが優先課題である。第四に、正直で効率的な政府を望む。第五に、より変革的、イノバティブで普遍的な目標を望む。そして最後に、各国政府の結果に対する説明責任と定期的なモニタリングが必要であるという意見が多く見られました。
今後でございますけれども、昨年末より、持続可能な開発目標に関するオープン・ワーキング・グループが議論を活発化させておりまして、このグループが本年九月までに報告書を取りまとめる予定でございます。これを受けて、九月から政府間交渉が開始されます。国連事務総長は、今年末までに全てのインプットを統合した報告書を作成いたします。明年九月の首脳会合で新しい開発目標が採択される見込みでございます。
日本政府は、このポスト二〇一五年開発アジェンダの策定のプロセスで大変に有益な主導的役割を果たしてこられました。ポスト二〇一五開発アジェンダに関心を持つ非公式な会合、いわゆるコンタクトグループを、主要な関心国や国際機関に呼びかけて、二〇一三年三月までに六回開催してくださいました。二〇一二年五月には、UNDPとILOが雇用と成長をテーマとして第一回のテーマ別会合を東京で開催いたしまして、外務省とJICAが共催してくださいました。政府関係者だけではなく、学識経験者、市民社会団体等から活発な出席が得られ、議論が行われました。
UNDPがポスト二〇一五年開発アジェンダに加えられるべき重要な分野として考えていることが三点ございます。これは、日本もこの点を強調されているというふうに考えております。
まず第一に、防災。日本の防災と災害からの復興に関する幅広く高度な技術、知見、経験は世界各国が認めており、共有が期待されております。来年三月に仙台で開催される第三回国連防災世界会議では、二〇一五年に期限を迎えます防災のための兵庫行動計画の枠組みが後継の枠組みに取って代わられることになります。ハイチの地震やフィリピン台風に見られますように、災害はせっかくの開発を後退させてしまいます。ポスト兵庫行動枠組は、ポスト二〇一五年開発アジェンダの一隅を占める国際的なコミットメントになることが重要であると考えております。
第二に、ジェンダーの問題でございます。女性のエンパワーメント、女性と女の子の能力強化というものは、MDGsのほかの目標の加速化に資することは間違いありません。数々のプロジェクトを見てまいりまして、そのように確信しております。ポスト二〇一五開発アジェンダでは、全ての目標、ターゲットにおいてジェンダー平等に配慮することが期待されており、協議プロセスにおいて女性の声がひとしく反映されることが重要だと考えます。紛争や災害の影響を受けた国における女性の生活向上支援や女性の政治参加推進への支援等の成果、教訓をポスト二〇一五開発アジェンダに活用することができると考えております。
三点目が保健、すなわち、世界中の全ての人が必要な保健医療サービスを負担可能な費用で受けられる、いわゆるユニバーサル・ヘルス・カバレッジでございます。多様化する保健のニーズに対して保健サービスへのアクセス格差をなくすために、健康長寿社会である日本の経験を踏まえた貢献が期待されます。ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの実現には、法律、政策、ガバナンスへの取組も不可欠です。
最後に、国際社会が日本に期待していることを申し上げます。
二〇一五年以降の持続的な開発目標が策定される重要な時期である今、日本に期待されているのは大きく次の三点がございます。第一に、国際機関を効果的に活用していただくこと。第二に、MDGsの達成と二〇一五開発アジェンダに対する民間企業の参加を促進していただくこと。第三に、人間の安全保障を実現するためのODAを推進してくださることです。
国際機関の有用性、特に日本が活用できる点を二つ挙げますと、まず第一に、国際機関は世界共通のルールを規範として形成し、実現していくことができます。防災のように日本が持つ知見、経験を世界に普及していくためには、国連などの多国間の場を活用していただくことが効果的と思います。
第二に、国際機関は多国間や活動主体の調整能力、それから動員力を持っております。日本が限られた資源を有効に活用するためには、他の開発パートナーとの緊密な連携が不可欠です。さきに閣議決定されました国家安全保障戦略にも国際機関との連携の必要性が言及されております。途上国の現場で国際機関を是非活用いただきたいと思います。
以前のODA特別委員会の記録を拝見いたしますと、二〇一三年三月にタンザニアとモザンビークに派遣された議員団の方の報告がございました。国連の主導する援助協調の枠組みが有効であり、必要であったという所感を見付けました。このような国連の意義、役割に対する理解は大変に心強く思います。
UNDPは、国連開発グループの議長として、現場では国連常駐調整官の制度を運営しております。百七十七か国で活動しております。日本が国連の調整機能や動員力を活用する際に日本人職員が果たす役割は大きいと思います。二〇一四年から二〇一七年までのUNDPの戦略事業計画が採択されております。これは安倍総理が国連の一般演説で主張された女性のエンパワーメントや平和構築といった点を共有しており、UNDPとの協力、連携が更に有効かと思います。
また、民間企業の参加でございますが、UNDPは、現在、ビジネスパートナーシップ、民間企業による開発への参加と事業の収益を両立する革新的なビジネスモデルの構築を支援しておりまして、御活用いただけるかと思います。
人間の安全保障は、先ほどもほかの参考人の方から御説明がありましたように、人間の尊厳、恐怖や欠乏からの自由を確保するために、それを科学的に解明して効果的に取り組む重要なツールです。国連を通じて是非実現していただきたいと思います。
私の前任地のチャドでは、二〇一三年の開発指標を見ますと、百八十七か国中百八十四番目の大変に厳しい順位でございます。平均寿命は四十九・九歳。二〇一五年以降、私が残してまいりました同僚や部下の家族や子供たちが今よりも健康で長生きし、平和で豊かな生活を送ってほしいと願ってやみません。
日本においても、自分や友人の家族、子孫が、今よりも格差が減り、自然環境が豊かで災害に強い社会で生活してほしいと切に願います。一五年後をどのような世界にしたいのか、これからの一年間、日本でもポスト二〇一五開発アジェンダの議論を活発化し、国際社会に発信していただきたいと思います。
UNDP、国連開発計画は、皆様とともに、二〇一五年以降の開発目標に対する皆様の声を反映させていただきたいと思います。
御清聴ありがとうございました。
○委員長(岸宏一君) ありがとうございました。
最後に、「アフリカ支援の現状とTICADプロセスの評価」について参考人から御意見をお伺いいたします。平野参考人。
○参考人(平野克己君) アジア経済研究所の平野でございます。アフリカに焦点を当ててお話をさせていただきます。
皆さんからお話があったとおり、日本の援助政策というのは、第二次世界大戦後、アジア経済、アジア世界を再建するという世界的な機能を背負って生まれたものです。つまり、アジアからイギリスやオランダといった旧宗主国が撤退をしていって、そしてアメリカと協力しながら、現在のアジア、世界経済を牽引するアジア経済を構築していく中で、日本の経済協力政策というのは重要な機能を果たしてきました。
これに比較すれば、アフリカにおける日本のプレゼンス、これは援助のみならず、民間企業においても、アジアに比べるとはるかに小さなものです。それに対する一つの対応策として、つまり、援助においては日本がリージョナルドナーからグローバルドナーに、そしてナンバーワンドナーになっていく過程の中で、一九九三年、TICAD、アフリカ開発会議というのが開始をされました。
日本経済にとってアフリカというのは一体どういう意味を持っているのかというのを簡単に見ておきたいんですけど、日本とアフリカの経済関係というのは、実は長い間自動車産業が支えてきました。アフリカから日本は、まずメーンにプラチナを買っています。このプラチナというのは排ガスの浄化に必要なものなんですが、買っています。世界中の自動車産業がプラチナを買っているわけですけれども、日本が最大の自動車企業がございますので、日本が最大のバイヤーです。世界のプラチナの九〇%は南アフリカという国に埋まっています。ですから、日本がアフリカから輸入するのは常にこのプラチナが中心、そして日本がアフリカに輸出するのは、日本の輸出の半分以上、六割近くは自動車なんです。この点から見ても、日本とアフリカの経済関係はずっと自動車産業が支えてくれた。
ところが、これがここに来てちょっと変化が見えます。実は、日本とアフリカの貿易は初めて貿易赤字が継続しています。なぜかというと、電力用のエネルギー、特に天然ガスのアフリカからの輸入が急増しているからです。これは、福島後の日本のエネルギー状況に対する対応の一つ、これがアフリカとの経済関係にも強く反映されているということなんです。こういった動きの中で、かつて日本の総貿易の一%を占める、大体それぐらいの比率であったアフリカが、現在、その倍ぐらいの規模になっています。
ここで、もう一つ考えておかなきゃいけないのは、二〇〇三年から始まった世界経済情勢の変化で、それはまず資源高ですね。資源が高くなりますと、これは七〇年代もそうなんですが、先進国経済よりも途上国世界の方が経済成長率が高くなります。高くなりますと、先進国から途上国へと投資が行われるようになります。これは八〇年代、九〇年代にはなかったことでした。八〇年代、九〇年代は先進国の方が経済成長が速かったので、日本企業はむしろアフリカから撤退するという、そういう傾向にあったんですが、世界を挙げて、日本を含めてアフリカに投資のブームが起こるというのがここ十年の動きです。
こういった世界全体、世界経済全体の情勢変化を踏まえて、実は援助政策も各国で変化が、著しい変化が見られます。まず、一番目立っているのは中国で、中国は高度成長を維持するために大量の資源が必要ですから、新たに資源供給地として開発されてきたアフリカに早い段階にコミットし、今の中国の七%成長は、まあ年によってはまだ二桁が可能ですけど、多くの部分、アフリカから輸入する資源によって可能になっています。つまり、今の中国にとってアフリカは全く不可欠の貿易パートナーになっています。
実は、中国だけが目立っていますが、先進国も、特に最近ではイギリスやカナダといったところが援助政策を抜本的に変えてきました。これは、民間との協力、それから官民連携の中でアフリカに対する開発促進及び経済的な権益をきちっと確保していく国益優先型の援助ということを、かつて人道主義を強く掲げていたカナダやイギリスが掲げるようになってきています。つまり、ODAの機能の見直しがここ急に行われるようになってまいりました。
その中で、実はTICADも変化をしてまいりまして、二〇〇八年に開かれたTICADⅣ、第四回会議で官民連携アプローチが日本の援助にも初めて導入をされました。アジアのときはもちろん官民一緒になってやっていたんですが、その後、援助においては民間の動きとは絶縁する状態になったんですけれども、これが連携をしていくというアプローチが取られるようになりました。
考えてみれば、援助政策というのは途上国を相手にした外交政策の一部ですから、外交政策がそうであるように、国益から自由であるはずがありません。国益を脇に置いた援助が許されるはずがありません。国益は語るまでもない援助の大前提です。国益の中に、別個に考えておかなければいけない国際益、国際社会のためにする日本の努力というのがございますが、国際益もまた日本の国益の観点から判断されなければなりませんし、また、もっと言えば、強い国でなければ、日本が元気であることが最大の貢献ですから、強い国でなければこの国際益の貢献というのは可能ではありません。その観点からも、援助は常に国益を考えて実行されなければいけないというのが私の考え方です。
こういった動きの中で、ODAの定義を見直そうというのがOECD開発援助委員会の中でも最近盛んに議論をされるようになりました。今、近藤さんの方からMDGs、ポストMDGsの議論がございましたが、ポストMDGsも大変大切ですけれども、実務的にはこのポストMDGsよりもはるかに重要なのは、ODAをどういうふうに定義するかの変更だろうと思います。これは、日本の援助、現在の算定方法ではランクを五位まで落としている日本の援助の見直しにおいても非常に重要な意味を持っていると私には思えます。
その背景には二つのことがあって、一つには、先進国よりも途上国の方が経済成長率が高くなって投資が急増しているので、金融の役割をもう一回見直そうじゃないかという大きな動きがあります。これまでは、無償援助の方が援助本来の姿で、有償援助、日本でいうと円借款はそれに次ぐ二流の援助という位置付けだったんですが、いや、どうもそうじゃないぞというのをヨーロッパ諸国も言い出してくるようになりました。
もう一つは、新興国ドナー、先進国以外のドナーの台頭です。これは中国が最も典型的ですが、そのほかにも、アジアでいうとタイやマレーシア、インドネシアというところはもう既に援助国ですし、それから韓国はもうOECDのメンバーですし、あと南米においてはブラジル、こういったところが、あるいは中東産油国が援助国です。そのプレゼンスが非常に大きくなってまいりました。
開発においては、民間においては競争が重要ですが、開発においては協調が重要です。こういった新興ドナーと協調していくためには、新興ドナーの援助というのは常に開発金融ですから、金融をきちっと前面に出して見直していくということがどうしても必要になります。こういった変化がODAの定義の見直しということに結び付いているというふうに考えます。
ここにおいて、日本において重要なのは、もう一つの重要な課題は、エネルギー問題もそうですが、日本経済の再生です。日本経済の再生には多くの課題がありますけれども、この途上国との関係において一つ重要な点を述べさせていただきますと、日本の世界最低とも言える貿易依存率の引上げだと思います。
世界には現在百九十六の国がありますけれども、日本は下から六番目の貿易依存率しかありません。現在、日本の輸出というのはGDP比で見て大体一五%ですが、これを平均並みに四〇%に上げる、あるいは平均に届かなくても、倍にして三〇%にするだけで日本経済には大変な成長余力がある。
つまり、どの地域を見ても、アフリカにおいては特にそうですが、日本のプレゼンスが小さくなっていくというのは、自動車を除いた日本製品の浸透力が徐々に徐々に弱くなってきているということなのです。このことは日本経済の体力にも大いに影響していて、途上国における日本企業の体力をもう一度向上していただかなければならないと思っています。
アフリカビジネスというのは、言ってみるとフロンティア市場でして、私はこれはビジネスの道場だとも考えているんですが、ここでもう一度、日本企業の力を試していただきたいと思っています。実際、非常に収益力の高い日本企業は既にアフリカでネットワークを張り、大いに有望なビジネスを展開されています。これに続く企業の数をどんどん増やしていかなければならない。その中で、日本社会の収益力を高めていく必要があると思います。収益力を高めていくということは、労働人口が減っていく、比率が減っていくということの対応でもありますし、財政基盤の強化にもつながるお話です。そのためには、日本がもう一度グローバルに国を開いていく必要があると私は強く考えております。その中に援助政策の重要性もあるというふうに思います。
今お話ししたように、ビジネスにおいてのアフリカの重要性、それから経済における重要性、これが前面に出てくることによって、十年ぐらいまで行かなくても、日本でもここ五年ぐらい、アフリカに関心を持つ日本人の数が非常に増えてまいりました。そのことを実感しております。以前はアフリカ物のコアの読者、雑誌とか本の読者というのは大体千人に満たなかったんですが、日本全体で、現在は恐らく二万人ぐらいいると思います。
これは、NGOのようなマイノリティーだけでは駄目なので、日本の場合、企業社会ですから、企業の方がアフリカに関心を持っていただく、いや、もっと言えば、アフリカを超えて世界のかなり条件の厳しい市場にも関心を持っていただくということが重要になってきます。そのことを通じてリスクを恐れない活力のある日本社会を実現していく、その中に援助政策も一つのツールとして組み込まれていく必要がある、これが日本の援助のこれからの課題であろうと私は思っております。
ありがとうございました。

 

議事録を読む 辰巳質問部分
○辰已孝太郎君 日本共産党の辰已孝太郎です。
二〇一〇年に国連の総会が開かれまして、このときのミレニアムサミットの成果文書に対するフォローアップということで、国連事務総長の報告書が出されております。その中で、貧困削減に関する進展は一様でなく現在も脅威であるという報告がされておりまして、ちょっと引用しますけれども、世界銀行のよく引き合いに出される一日一ドルという、二〇〇八年に二〇〇五年の価格で一日一・二五ドルへと改定された国際的な貧困ラインに従えば、一九九〇年の十八億人からは下がったけれども、依然として二〇〇五年、ちょっと古いんですが、十四億人の人々が極度の貧困の中で生活をしている、しかしながら、中国がこの減少の大部分と考えられるので、中国を除くと進展はそれほど促進しているようには見えないと、こういう指摘がされております。
そこで、私がお聞きしたいのは、サブサハラ、以南の南アフリカの現状なんですね。私、参考人の三人の方にお聞きしたいと思うんですが、ちょうど御三人はアフリカ研究などもされているということですので。
平野参考人の文書を見ますと、アフリカの圧倒的な農業人口、これが六割だと、しかし、生産性の低さから所得も上がらずに貧困がなかなかここではなくなっていかないと、都市部で増え続ける人口を養うことが、アフリカ自身が養うことができないという文書を目にいたしました。逆に、アフリカでは食料の輸入量が、日本では食料自給率というのが低いと言われていますが、それ以上の輸入というのがあるということでありました。
私が参考人三人にお聞きしたいのは、今後どのようにこのアフリカのとりわけ農業支援、日本が強めていったり、また今まで問題点があれば問題点は何なのか、これからの課題がどういうものにあるのか、そのコミットメントを日本がどうしていくのかということをそれぞれお聞きしたいと思います。
○参考人(平野克己君) ありがとうございます。
農業支援の場合は、先んじて技術支援です。アフリカという風土、農業というのはその土地の風土に合った技術を提供しなければ生産性は上がらないので、技術移転、これを行うしかありません。ただ、日本は今、その農業の技術移転をやるだけの国内のインフラが十分にあるとは恐らく言えません、日本の農業は今こういう状態ですから。そうすると、恐らくは国際協調、田中理事長も指摘されましたけれども、南南協力、日本がかつて技術提供をさせていただいた例えばアジアの国との協働、こういったところが突破口になるのではないかというふうに考えております。
○参考人(近藤哲生君) 国連で現場におりました経験から申しますと、アフリカで農業の問題、農業を一番脅かすのは何かと申しますと、これは人災と自然災害です。人災というのは紛争です。自然災害というのは干ばつ、それから水害なんです。
サヘルの地域の人道危機に対する国際社会の支援額を見ますと、日本が一番なんです。人道支援に資金を投入することは極めて重要な、人の命を助けることですから重要なことではありますが、これが改善していかないとなると、いつまでたってもお金が必要と。社会を強靱なレジリエンスのある社会にすることによって農業が定着して、食料の自給というのが可能になってくるというふうに考えます。
以上です。
〔委員長退席、理事松山政司君着席〕
○参考人(高橋基樹君) 手短に、三つのことが必要かと思います。
二人の参考人がおっしゃったことは全て私もそのとおりだと思いますが、まず、高い技術を普及させるためには、それがもうからなければならない。市場を導入するということが制度的にも重要だと思います。
もう一つ、市場の恩恵に浴せない人たちも飢えないためには、彼らが自分の手にするものを使って自給自足の力を高めるということが次に大事になると思います。
三番目に、食料を自分で作るだけが人々の飢餓を、あるいは貧困をなくす手段ではございません。やはり現金稼得能力というのを農業の枠を超えて高めるということもまた重要だと思います。
以上でございます。
○辰已孝太郎君 もう一つ、ちょっと全く別の話に移りますけれども、今日のNHKのニュースで、自衛隊の医療支援とODA、初の連携というニュースがありました。自衛隊がタイ中部の学校で地域住民への医療支援などに当たったということでありまして、その後に医療施設を日本のODAで造っていくということが報道をされております。自衛隊の活動と結び付くのが今回が初めてで、日本の存在感を高める狙いがあると。その背景には中国が、中国軍がこれらの地域に進出してきているということであります。政府としては、今後、自衛隊の海外でのPKO、平和維持活動で応用するなど、自衛隊とODAの連携を国際貢献の新たなモデルケースとして検討していきたいというふうに今日のNHKでは報道をされているところであります。
〔理事松山政司君退席、委員長着席〕
今自衛隊の海外の活動というのは、このPKOの中でも様々拡大をされている中で、私はこういうことは慎むべきではないかと思っておりまして、現行のODA大綱の中にも、軍事的用途及び国際紛争助長への使用は、これODAは回避するというふうにはっきりと書かれているわけですので、このことを一言だけ、私たちはこういうものにODAを使うべきではないと、ではないかということを申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。